松岡洋右がいかん



田原 今年(平成七年一九九五年))は戦後五十年ですが、あの戦争をどう考えていますか。やむを得ない戦争だったのですか。

四元 世の中の出来事は、すべて「やむを得ん」で起こるんです。「あれよ、あれよ」という間に、やむを得ん道を辿るものなんだよ。

田原 どこで道を誤ったのですか。

四元 それは神様でもわからんわな。まして一書生の僕にはわからない。ただ、僕が出獄して間もなく、近衛文麿内閣のときですが、鎌倉山の近衛さんの別荘で、二人きりで三時間ほど話したことがあるんです。その折り、「松岡洋右(ようすけ)がいかん」という話になった。

田原 当時の外務大臣ですね。

四元 彼こそは日本を戦争に導いた男だよ。近衛さんも最初は期待して入閣させたわけだが、僕が「松岡はいかん」と強調したので、近衛さんはいったん総辞職して松岡を切った。私だけじゃない、細川護貞(もりさだ)(当時:首相秘書官)や富田健治(当時・内閣書記官長)もそう思っていた。何がいかんといって、彼は私心しかない男なんです。

彼が日独伊三国同盟を結んで、得意になって帰国したとき、僕は三上卓(みかみたく)と代々木にあった松岡邸を訪ねたんだ。彼は三時間もとうとうと一人でしゃべっておったな。「この部屋で、スターマー(当時・駐日ドイツ大使)と同盟を結んだんだ」とか、みんなはったりだった。日本のためでもドイツのためでもない、自分が有名になるために、あんな同盟を結んだだけだったんだ。



田原 四元さんは、近衛さんと親しかったそうですが、近衛さんはあの戦争でどういう役割を果たされたんですか。

四元 担がれただけで、内心では「戦争はいかん」と思っていたでしょうね。それは陛下も同じだった。陛下と近衛さんは不離一体だったから。

田原 昭和天皇も近衛さんも戦争はいけないと思いながら、止めさせることができなかったわけですか。

四元 政治は力です。当時は軍がいちばん力を持っていた。だから、だれも戦争を止められなかったんだろうね。


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