サムライ会社 「蒲生の里にはサムライ会社というのがあるそうですな」 と、編集部のHさんが突如いった。私もそういう話をきいていた。信じられないような話だが、明治の瓦解で士農工商が消滅したとき、蒲生の旧士族があつまって不動産会社をつくり、それがいまもってつづいているという。
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「蒲生衆のために藩有林や藩有の牧場を払いさげて下さい」。 と旧藩に請願し、意外にも許可された。まったく意外というほかない処置で、こういう事例は薩摩藩の他の地域にもなく、むろん全国的にも士族の特権が経済的に保護された例など皆無であった。 なぜうまく行ったかについてはいくつか理由が考えられる。 蒲生衆が政治的な立ちまわりがうまかったということではなかった。むしろ逆だった。
という同情が、藩の瓦解のとき藩幹部にはあったにちがいない。 蒲生衆は、藩財産を頂戴するにあたってその受入れ組織をつくって陳情したことも利口だった。「蒲生士族共有社」という名前の組織をつくったのである。しかも目的を明快にしたことも利口だった。「子弟の東京遊学の学資にあてる」というのである。 その金のおかげで蒲生旧士族の子弟は鹿児島市の旧制中学に行ったり、東京の大学へゆくことができ、このためこの貧窮な町が、明治初年から上級教育への就学率が高かった。 |
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鹿児島県姶良郡蒲生町 山下憲男 |