司馬遼太郎「街道をゆく3」奥のみち、肥薩のみちより
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「そりゃ、カモがよかです」と、川内から鹿児島市へ行く途中、東市来(ひがしいちき)・苗代川(なえしろがわ)の陶芸家沈寿官(ちんじゅかん)氏の家に立ち寄ると、かれは焼酎の祝い酒をどこかで飲まされて昼寝をしていたが、起きてきて、そのようにいった。「そういうのんきな旅行ならカモがよか。あすはぜひカモぃおじゃはんか

と、すすめてくれた。

カモというのは蒲生とかく。ガモウと訓(よ)まず、カモとみじかく澄むのである。カモというのはよほど厳粛でおかしくもある土地らしい。
サムライ会社
昼前に鹿児島市の宿を出た。蒲生(かも)郷へゆくべく錦江湾(きんこうわん)ぞいの海岸道路を北へ走った。
磯街道より桜島を望む

鹿児島県の小学生の絵画能力の水準が高いという話は以前からきいていた。たいていのコンクールで全国で一位をとるという。その理由は太陽の満ちあふれた自然環境にあるであろう。この日は晴れていなかった。しかし空は複雑な模様を呈していた。たとえば右手の桜島の上にま真黒な雲が垂れこめているくせに、暗い赫(あか)色の項上あたりからときどき明色の白煙が噴きあがって、天の色調をいっそう複雑にしていた。

さらに北の方角にきらめくような晴間が一点のぞいている。その晴間に、霧島連峰が夢のようにうかびあがっている。その手前は、海である。近景と遠景が明快で、どこを切りとっても絵になるのである。ただこの日、雲が低かったためにせっかくの錦江湾が紺碧ではなく自っぼかった。
「蒲生の武家屋敷町の石垣は青かあれをよく見ておいてください」と、前夜、宿に電話をくれた沈寿官氏がそういった。そのようにどの景色も色で説明できるし、この土地に生れれば色には贅沢な感覚が身についてしまうのかもしれなかった。
重富から霧島連峰を望む

蒲生へは、重富(しげとみ)のあたりから左折しなければならない。急に潮の香が遠くなる。ほそい道路が、小山の群れのなかを押し入ってゆくようにしてつづいている。古代に噴火活動によってできあがったこのあたりはどの小山もギザギザした感じでまだ風化が十分でなく、どの山も出来たてのよぅになまなましい姿をもっていた。もっとも風化が進んですでに老い寂(さ)びている小山もまじっていた。そういう老山にはちゃんと杉が密生しており、杉の下草には山ツツジがびっしり茂っていたりした。

蒲生城(竜ケ城)跡より蒲生の町を望む
平成10年8月

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