英知あるリーダー、出でょ
田原 これからの日本の政治を背負って立つ人について聞きますが、たとえば、河野洋平さんはどうですか。
四元 だめですね。
田原 小沢一郎さんは、どうですか。
四元 話にならない。
田原 お会いになったことは…。
四元 ない。
田原 橋本龍太郎さんはどうですか。
四元 彼のことは、小さいときから知り過ぎとるぐらいだが、大臣になっても官僚はついて来るが、本当の人は、ついて来ないな。
田原 加藤紘一さんは。
四元 だめだな。彼も若いときは、伊東正義と一緒に育てようとしたんだがね。
竹下がリクルート事件で辞める前、伊東正義総理大臣待望論が出た。そのとき、竹下と伊東が会って話したらしいんだが、竹下は総裁の件は何も言わず、こう言ったそうだ。総理というものは本当に親しい幕僚、子分がなくてはならない。伊東さんは、加藤紘一 一人だけだ。後藤田に至っては、その一人もいない、と。要するに、田中や中曽根が総理になれたのは、やはり金だけではなくて、ついて来る人がいたからだ。ついて来る人がいなくては、やはり総理の器ではないということだ。
田原 これからの若手では、だれが有望ですか。
四元 いちばん期待するのは武村(正義)だな。安倍晋太郎の長所は、一目みて直感で人を見抜くところだったけど、武村君も、そういうところがある。彼は代議士になってすぐ安倍の派に入ったんだが、一、二年で安倍は彼を重用するようになった。伊東正義も、いちばん可愛がったのは加藤じゃなくて武村だった。
田原 細川護煕さんは。
四元 しばらく会ってないけれど、いま悩んでいる最中みたいだね。リーダーの資格はおおいにあると思う。武村君も彼に惚れ込んでいたけれど、小沢の隔離策にやられた。彼らが二人一緒になっていたら強いからね。
田原 ところで先日の統一地方選挙で、東京・大阪の知事に無党派の青島幸男氏、横山ノック氏が当選しました。これをどう受け取っていますか。
四元 青島さんは堂々たるものですね。ただし、彼は政治家でも何でもない。芝居の役者だ。一方は漫才師。政治家は何をしておるか、ということだな。
田原 どうして、こんな結果が出たんですかね。
四元 政治がだめだからです。政治が悪いから、政治がなくなったからだ。
田原 たしかに自民党の長期単独政権が終わった後、政治ほ混迷しています。その最大の原因は何ですか。
四元 いまの政治は、いちばん大事なものを失っているんじゃないかな。金よりも大事なものがあることを知らないから、政治家が金の亡者になるんだ。
田原 それは具体的にほ何ですか。
四元 「道」といってもいい、「神」といってもいい、「真理」といってもいい、「最高の道徳」といってもいい。とにかく人間としていちばん大事なものを失っている。そういうものを失うと、金と暴力と権力だけが支配するようになる。これは政治家だけじゃない。「人」が堕落しているから、オウム真理教や暴力団が出てくる。日本が悪くなっているのは、日本人自身に大きな責任があるんだ。
今の日本には、そのために生き、そのために死んでもいいというものが何もない。
さっき「狂人走不狂人走」と言ったけれども、やはりリーダーが間違うと国家全体が間違うということだ。ドイツのヒトラーしかり、日本の東條しかり。会社でも、社長がよくなれば会社は必ずよくなる。ましてや国のような大きな組織の場合、まずトップがよくならなければだめなんだ。
田原 では、リーダー、首相になる人物の条件とはなんですか。
四元 今西錦司さん、いちばん親しかった偉い哲学者(専門ほ生物学・進化論)で、京都に行く度に会っていた人ですが、彼は三つの条件をあげている。一つほ「生まれつき人に好かれること」。二番目は「責任をとりきること」。逃げる奴はだめだ。三つ目は「先が見えること」。
田原 リーダーの堕落と日本人全体の堕落には、相関関係がありますか。
四元 あります。だから怖いんだよ。民主主義の大原則とは「of
the people,by the people,for the people」で、選んだ側に責任があるわけだ。しかしやはりリーダーの責任も重い。わかりやすく言うと、リーダーが品が悪い人だと、国全体が品が悪くなる。池田勇人でさえ訪仏したとき、ド・ゴールから「トランジスターラジオの販売人みたいだ」と言われたそうだけれども、吉田茂だったら絶対にそんなことほ言われない。
よく制度疲労とよく言いますが、そんな馬鹿なことほない。制度は法律で作ったものであって、生き物ではない。もし疲労しているとすれば、それは政治家という「人」が原因なんですょ。他に原因などない。そこがわからなければ、本当の危機というものはわからないんじゃないでしょうか。政治は観念論でほ絶対によくならない。いいリーダーを出すことが大切です。たしかにいいリーダーには必ず優秀な幕僚がいて、社会が彼らを支持するから政拾をリードできるわけだが、突き詰めていけば一人なんです。
ただ、一人の立派な人間がいても、今の日本ではなかなか出てこられないのが心配ですね。今西錦司さんには、学界外に中曽根をほじめ多くのファンがいたけれども、肝心の生物学界はみんなあの人を無視した。今西さんは日本の学者を馬鹿にしていたけれども、わかりますょ。
中山素平さんという、日本興業銀行の今日を作った、優れたリーダーがいるでしょう。日本興業銀行この前の、ハブルでだいぶ恥ずかしいことをやった。僕は中山さんに「これほ、あなたの責任だ」と言ったんだ。すると彼が言うにほ、彼が頭取を辞めて会長になったとき、代表権も断って、経営には一切ノータッチにした。きれいな辞め方をしたわけだ。興銀の連中ほ本当に中山さんを完全にたな上げにしたな。ばかばかりだから相談にもいかなかった。だからああいう醜態を招いたんですよ。
昭和六十年の春、第一次中曽根内閣のとき、今は亡き胡耀邦に会うべく、中曽根総理の信書を中国へ行った。その前に、京都で今西教授と貝塚茂樹教授を訪ねた。そのとき、今西教授はこういった。「今や、哲学も宗教も今日の危機を救う力はない。核兵器を使い合って人類はついに滅びるだろう」と。また、貝塚教授は「こういう恐るべき兵器(核兵器)できてしまった上は、人類ははもはや戦争なんかというばかなことはしないだろう」と言った。僕は、この2人の碩学の二つながら真実だと思う。底知れぬこの危機を、人類の英知は必ず克服するだろう。
山本玄峰老師が「無門関提唱」でこう言っている、「現代の世界各国の指導者は、いわは亡者頭のような者だ」と。
僕はこう思う、「偉人なる政治家、宗教家が今日期待される時はない。今日のこの深刻な危機を救うべき英知のリーダー、出でよ」。
天下一人にして興り、一人にして亡ぶ
四元 大徳寺一七○世の清巌和尚の「狂人走不狂人走」の一句は僕にとって長い間の公案というべく、又長年の課題であり続けている。歴史を見れば「狂人走不狂人走」の例は数多い。悠久の歴史でいえば短いとも云える狂人に依る暴走は幾多の不幸な狂気の悲惨な痕を残している。しかし人間社会は絶えず復元しながら成長していく。しかし、逆のことも起こる。
一人の賢人が多くの人々を指導して全社会が健全に成長してゆく時代もある。
古人の哲人政治の理想は然り。
人類の社会にとり最も大切なことは、一人のリーダー出よということである。
一人一人ては決してない。このような時代においては、大衆は心から、すぐれたリーダーを待望していること間違いない。どんな小さな組織であれ、また巨大な組織であれ、まず一人のリーダーこそ大切である。一人のリーダーは決して独りではない。その独り独りの結集はその全組織を起こす。
国家であれ、会社であれ、すぐれたリーダーの結集に依り興り、それ無くば即ち亡ぶ。
古語にいう、「天下一人にして興り、一人にして亡ぶ」と。
群(むれ)よびにひとつ奔(はし)ると見るが中に
長々しくもつくる蟻(あり)みち (曙覧 作)
利(まうけ)のみむさぼる国に正しかる
日嗣(ひつぎ)のゆゑをしめしたらなん (曙覧 作)