竹下が中曽根学校の創立を提案‥

四元は、これまで述べてきたように、近衛文麿から小磯国昭、鈴木貫太郎、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳といった宰相たちの、ブレーン、あるいは指南役として重大な影響力を持ちつづけてきた。はたして、四元があえて中曽根に肩入れする理由は何か。

 昨年四月、四元に北鎌倉・円覚寺内の蔵六庵でインタビューしたとき、四元になぜ中曽根を担ぐのか、と訊いた。

 四元は、中曽根と歩んできた過去をふり返りながら、訥々と語った。

「中曽根を注目しだしたのは、河野一郎が死んでからだ。ぼくは、河野のところへなんか行くんじゃない、やめろ、といったんだけどね。中曽根はいうことをきかなかった。ぼくは、河野一郎が嫌いでね。若いころだったら、叩き殺してやるよ。河野派の連中は、児玉を大先生と呼んでいる。みんな、金をくれるから偉いと思ってるんだ。

 中曽根は、昔から芸者の評判がえらく悪かった。芸者が、ばくに言うんだ。

『四元先生、どうして中曽根さんをかわいがるの? あの人は、性格に裏表があって、先生とは違う。先生のお座敷では、きちんとしてるけど、ほかのお座敷ではひどいのよ』

古い芸者は、みんなそう言っとった。

本人は、総理になろうと思っとったかもしれないが、そういう評判がたつような男だから、誰もそうは見とらんかった。

ぼくだけだよ。ここ数年、中曽根が総理になると言ってきたのは。風見鶏の角もだんだんとれてきた。だんだんばくの言うとおりになってきたよ。

 佐藤栄作が、言っとった。中曽根がいいとね。佐藤内閣時代、中曽根は運輸大臣だったが、そのころ佐藤はばくに言った。

「やがて中曽根は、大物になる。格好もいいし」

「そうか、格好か」と、僕は言った。

「ここの筍(たけのこ)は、かならずこの竹藪から出る」

 ばくは、佐藤の目を信じた。岸なんかより、佐藤のほうがよっぽど先が見えていたね。

 しかし、中曽根は、度胸がある。いよいよとなったら、やる男だ.人間は、誰でもそうなんだけど、もともとやれる素質がある。容易ならんことをやれるんだ。ただいまでも、まだフラフラしている。だから、目を離せない。何ペん言っても、わからん。中曽根は、風見鶏と名づけられるや、すぐに勝海舟や、西郷南洲だって、風見鶏だ』と弁解した。そのとき、ここへ中曽根と稲葉修の二人を呼んだ。中曽根にはっきり言ったよ。

 
風見鶏というのは、信頼されないということだ。あんたが、風見鶏じゃないから言うんだ。つまらんこと弁解するな!」そう怒ったんだ。そしたら、中曽根は半年ぐらい寄りつかんかった」

  ところで、中曽根さんが、総理になる前の昭和五十七年十一月二十日に四元さんといっし上に全生庵で、座禅を組んだのは…。

「わたしから誘ったんだ。あとは、一人で一週間に一度は行ってるようだ。十一月二十日が、ひとつの契機になったことは間違いない。中曽根がああして座禅を組めるのは、本物の証拠だ。四時間もぶっつづけで座っていたから、彼は何かに触れたんじゃないか。人間というのは、結局自分の何かを味わうということなんだ。そうした体験は、消えない」

 四元さんは、児玉嫌い聞いている。それなのに、中曽根と児玉の関係の深さは有名だ。そのあたり、どのようにお考えなのか。

「中曽根がいちはんこたえたのは、児玉との関係だ。鬼頭史郎というれいの判事補が、三木にニセ電話をした。中曽根と田中角栄の話が出た。あのころの中曽根は、生きた顔してなかった.蒼い顔してたな。中曽根に言ったよ。

『人間は、精神修養しても、いざというときには、なんにもならぬ。人間とは、そういうもんや。覚悟したらいい。地金でいくしかないんだ』だから地金は、磨いておかなくちゃいけない。しかし、中曽根は、いまでもばくの前では、児玉の話はいっさいせんね」

  中曽根が、田中に寄りすぎると見られているが。

「田中角栄は、あれだけの力を持ってるから仕方がない。が、二人は、おたがいに信用していない。知恵くらべになる。田中は、中曽根を風見鶏だと思ってるし、中曽根は、田中をろくでもないやつだと見ている。おれは、中曽根が総理になったとき、中曽根に言ったんだ。絶対、鈴木や田中に頭を下げるな。その必要はない』

 中曽根も、それで自信をつけたようだな。

 総理に決まって、ひととおり組閣が終わると、中曽根は言ったよ。『たいしたことありませんよ』とね。つまり田中をひっくるめて言ってるんだ。度胸あるょ。ようやくそれぐらいの肚ができてきた。田中というのは、愚連隊というか、ゴロツキだね。金で人を動かす選挙マシーンだ。その程度の男だ。ほかに、何も能力がない。これからは、中曽根と田中の勝負だ」

 竹下登は、歴代の総理が意見を拝聴した故安岡正篤と四元を比較してこう語った。

「安岡氏は、いわは帝王学についてアドバイスした。しかし、四元さんは禅にもくわしく、精神的な支えになる忠告をするんです」

 四元は、かつてインタビューしたとき、こう語った。

「中曽根がこれからどうすれはいいか、ぼくは毎日そればかり考えている。中曽根に言ったんだ。

『いまは、中曽根の問超だけじゃなく、ばく自身の問題になっている…と』

 昨年五月二十八日から五月三十日まで、アメリカ・バージニア州のウィリアムズ・ハーグで、『ウィリアムズバーグサミット』が開かれた。

 その帰途、竹下が、なかば冗談まじりに中曽根総理にもちかけた。

「″吉田学校″のむこうを張って、″中曽根学校を′つくろううじゃないですか。ぽくと、安倍ちゃんが一期生になりますょ」

竹下とともに、ポスト中曽根の声の高い安倍晋太郎外相が、大きくうなすきかえした。

 中曽根総理は、「とても、とても…」と手をふりながらも、決して否定はしなかった。

 おそらく、中曽根の心の中にはへこれまでの「経済中心」の政治から「政治中心」の政治へ切り換えた「中曽根学校」づくりへの野望が頭をもちあげていたろう。

 今後の中曽根総理にとって、そのためにも、四元義隆の存在がより大きな比重を占めることになる…。(文中敬称略)


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