西郷南洲先生略年譜
西郷南洲先生肖像

明治11年、我国の初代印刷局長得能良助氏は、維新前に南洲先生と国事に奔走した人であるが、後日、南洲先生の肖像が伝わらないことを遺憾とし、印刷局雇人キヨソネ(イタリア人)に書かせ、西郷家に贈ったといわれる。

○文政十年 (一八二七年)十二月七日鹿児島市加治屋町に誕生(父吉兵衛、母満佐子)

○弘化元年 藩の郡方書役助となる(十八才)

○安政元年 斉彬に従って出府(二十八才)

○安政五年 将軍継嗣問題で奔走、僧月照と三船沖に投身、蘇生の後、大島に流謫を命ぜられる(三十二才)

○安政六年 大島竜郷村に潜居

○文久二年 藩の召還命令により帰藩(二月)直に国事に奔走、久光の怒りに触れ、再び大島に流謫(六月)徳の島を経て沖永良部島和泊にて牢に入る。(三十六才)

○元治元年 許されて帰藩、長州問題奔走(三十八才)

○慶応元年 同三年まで討幕に盡す(三十九才〜四十一才)

○慶応四年 (明治元年)鳥羽伏見の戦、東征大総督府参謀。江戸城明渡し。(四十二才)

○明治二年 東京、鹿児島間を往復

○明治四年 廃藩置県断行

○明治五年 陸軍元帥、近衛都督に任ぜられる(四十六才)

○明治六年 韓国問題で政府を辞し帰郷(四十七才)

○明治七年 私学校開校(四十八才)

○明治十年 西南の役おこり九月二十四日死去(五十一才)(満四十九才)

○明治二十二年 賊名を除かれ正三位追贈

○明治三十五年 嗣子寅太郎に侯爵授けられる