敬天舎年譜

     

編纂:児玉正志同人

大正

13年 2月13日 天台道士梅窓杉浦重剛先生逝去、(一八五五〜一九二四)七十才

13年 8月 8日 杉浦梅窓先生追悼法会を南洲寺で営む。世話人岡積勇輔

13年 8月    岩崎行親先生、福山中学校々長を辞任され、四月鹿児島市に閑居。

             杉浦先生称好塾の御縁にて、岡積先生との道交日に探し。

13年10月24日 岩崎先生が、明治二十七年赴任以来、明治三十四年七高館長に就任されるまで、造士館と県立一中在職亡友三十六柱の招魂祭を、下荒田町二二六八番地の自宅で挙行された時、参列者有志の発企で、甲子会を結成した。会員九十三名、事務所は、東千石町五〇番地 岡積勇輔方であった。

14年 2月13日 杉浦梅窓忌法会、於南洲寺。世話人岡積勇輔。この頃を以て、敬天舎創立と推定。岩崎先生献詠。「おしへ子の心にふかく植えし実は千もとの梅と咲きにはふらむ」。

15年 7月30日 甲子会例会、岩崎先生病気回復祝の席上古稀祝賀の動議あり、準備委員として、児玉実良、丹生猛彦、和田正、牧田静彦、千田清、岡積勇輔の諸氏がきまる。

15年11月28日 岩崎行親先生古稀祝賀会を鶴鳴館で開催。出席者一〇九名。

15年 9月    塩谷温文学博士、東千石町五〇番地岡積宅の敬天舎を訪問され、 「薩隅健児意気雄。檎籠屠虎立奇功。西郷死去東郷老。誰継當年傑士風」の詩を賦して贈らる。

菁莪塾生山之口斎、敬天舎岡積勇輔、千田清、ともども黒松翁の案内にて霧島温泉に清遊。


昭和

 2年 2月27日 寺山の南洲翁開墾地跡で、岩崎先生が主催され、甲子会亡友十八柱の追悼祭が挙行された。敬天舎同人が世話に当り、参加者は五十六名であった。

 2年 6月    岩崎先生の著書。神道論、西征快心編衍義、日本教訓詩、社会主義の襲来とその対策を敬天舎で発行する。

 3年 4月26日 岩崎行親先生(岳東・敬天斉・一八五五〜一九二八)逝去。七十三才

 4年 4月26日 岩崎岳東先生詩歌小集を発行す。(敬天舎)

 4年12月26日 塩谷温博士講演を機に、岡積勇輔先生の指導で、麑城吟詠会結成。

 
 5年 1月    磯に在った岡積家本宅の憐地・岩切信夫氏宅を借家して敬天舎を移し、孝経素読会・孝行和讃合誦を始める。
孝行和讃は明治三十九年相国寺管長中原東嶽禅師より伝授され、岡積家家庭会で合誦してきたものであるが、大正八年旧暦七月十五日普及会を発念されたものである。

 5年秋      帝国在郷軍人会鹿児島市連合分会が、域山公園に自動車道路を開さくする計画あり、敬天舎が中心となり、鹿児島博物学会、鹿高農博物同志会、七高教天会、大道館等、一丸となって、自動車乗入反対、老樟伐採反対運動に決起。

 

 6年 6月 1日 文部省は城山を史蹟名勝天然記念物に指定、自動車乗入は禁止となる。

 

 6年 6月 1日 頼山陽百年祭挙行(麑城吟詠会)

 6年 9月13日 乃木大将二十年祭吟詠大会挙行(麑城吟詠会)

 6年11月19日 伊敷練兵場に於て、県下学生が天皇陛下御親閲の常に浴したるを記念して七年一月より吟詠会の月例会は、十九日に行うこととなる。

 8年11月 5日 七言絶句漢詩集「興風」を、発刊する。三〇〇頁、新書版。

 8年12月28日 皇太子殿下御誕生を記念して、敬天舎々屋の新築に着手、九年一月竣工す。資金は、加治屋哲先生提供。

 
 9年 8月11日 建武中興六百年祭を挙行(麑城吟詠会)9年8月5日 孝経素読会五閏年を記念し、敬天舎同人書の孝経を印刷する.

10年 5月25日 大楠公六百年祭を挙行(麑城吟詠会)

11年 8月 1日 大阪青年塾堂(塾長加治屋哲)落成記念に、敬天舎同人書古文孝経を一万部印刷塾風確立のため岡積先生上阪さる。

11年11月 5日 岩崎行親著「国体詩」一万部刊行。五十頁、定価十銭。敬天舎。

12年 4月26日 岩崎行親先生十周年忌を挙行し、草牟田墓所に「国体詩」碑を建立す、撰文、東京帝大教授塩谷温先生、篆額字、一高教授菅虎雄先生。教育会館に於いて、国体詩碑建設記念麑城吟詠大会を開催す。

12年10月 6日 頼山陽作、筑後川を下る詩が萬雷先生の吟詠でNHKより全国放送さる。

13年 7月22日 横山正太郎安武六十九年祭を行う。

14年12月13日 近衛文隆氏(文麿公長男)来舎歓迎会。

15年 2月11日 皇紀二千六百年紀元節未明、高千穂峯頂上において、敬天舎同人持参の薩摩鶏、国家光紘と鳴く

15年12月 8日 床次竹二郎先生建碑除幕式(碑文徳冨蘇峰、揮毫、岡積勇輔)

16年 1月    敬天舎に屋根瓦を葺く。奉天の手塚安彦氏寄贈。

16年11月 3日 東京小平村に大鵬寮開設(外務省所管、南方派遣学生錬成塾、寮監北原勝雄)岡積先生も上京され、敬天舎同人挙って応援。

17年 1月 5日 孝経素読会実況がNHKを通じ全国放送される。

17年        床次文庫、鹿児島新聞社より舎に移管。

18年 5月21日 岡積勇輔先生逝去。享年六十才。法名 敬天院義導萬雷居士。

18年 8月24日 薩摩鶏 天然記念物に指定。

23年        北原勝雄同人、東京大鵬寮を解散して帰舎、敬天舎の再建を図る。

27年 8月 6日 北原同人上京のため、児玉正志同人が舎に移住して管理に当る。

28年 5月21日 岡積勇輔先生十年祭を挙行する。

31年 4月26日 岩崎行親先生三十年祭を挙行する。主催者、代表勝目清、鹿児島一中同窓会七高造士舘同窓会、福山中学同窓会、敬天舎。墓前祭。記念講演会、於山形屋ホール。講師、岩崎先生の詩歌、塩谷温博士。

国体詩と佐久間ダム、間組、神部満之助社長。遺墨展。市美術館で五日間。伝記、詩歌抄三千部刊行。

31年 9月16日 国道十号線開通工事のため、敬天舎を解体し、四元義隆邸月船院に転居する。書籍は、異人館の一室を借用して収納する。

32年 7月21日 舎屋(三十一坪)再建祝賀会をなす。舎敷地一五〇坪が一〇五坪に縮少。舎再建費、七〇万円(内、建設省物件移転補償費五十二万円)

33年11月15日 月照上人百年祭を敬天舎で挙行し、延岡市誓敬寺住職香春健一師を招き講話を聞く。

34年 4月26日 岩崎先生三十年祭記念事業として、寺山に、先生の絶筆「吉野寺山之賦」詩碑を建立除幕する.

34年 2月     城山土塁、樺樹破壊事件弾劾運動を起こす。六月、文部省文化財保護委員会より、城山観光株式会社に原状復帰の行政命令あり、十一月に文化財保護法違反の有罪判決があった。

37年11月 8日 岡積利兵衛翁の米寿祝をなす。

38年 8月19日 照国神社境内より城山観光ホテルに至るロープウェイ架設反対運動を起こす。三十九年施工中止。

39年12月12日 明治維新百年懇談会を結成し、事務局を敬天舎におく。世話人三十七名。内、敬天舎同人二十二名。

40年12月28日 岡積勇輔先生追憶集刊行、千部、二六〇頁、A五版。

41年11月 1日 明治維新百年懇談会世話人名で、当局宛、四十三年の明治百年事業に関する要望書を提出した.主旨、鶴丸城址、南洲基地周辺地区を記念事業の実施地域とし、維新記念館、郷中教育を現代風に活かした青少年会館、武道館の建設、薩摩明治維新史の刊行、伝統文化財の保存顕彰。

48年 5月21日 岡積万雷先生二十五年祭を鹿児島及び東京に於いて挙行す。

43年 1月15日 北原勝雄代表の運動により、絶版中の岩波文庫西郷南洲遺訓を第七版として発刊、舎で五千部を普及頒布した。

44年 2月26日 岩崎先生と縁故の深い加納久宜知事五十年祭を県に陳情して、県・産業団体主催で挙行した。

47年 9月24日 南洲翁遺跡巡り遠足(西郷ドンノエンコ)を敬天舎同人で企画、第一回を実施。

49年 4月25日 薩摩義士二二〇年祭を記念して、木曽川治水神社参拝団二二〇名を舎同人で企面し実施。

51年 6月 4日 舎同人有志で発企推進を続けてきた「西郷南洲百年記念顕彰会、会長金丸知事、事務局県民局)が実現発足した。

52年 9月24日 南洲神社百年祭盛大に挙行、同人奉仕。

53年 4月28日 岩崎岳東先生五十年祭を、日曜日に繰上げて本日挙行、御遺族をお迎えして、墓前祭、国体詩合吟、会場を南洲神社々務所に移し、岳東先生を偲ぶ会開催、出席者七十三名。

53年 5月 2日 自治大学地方自治資料センターに床次文庫を寄贈移管す。

54年 6月10日 児玉正志同人、西郷南洲顛彰館奉仕のため、下竜尾町の実家に転居す。

55年12月23日 舎則を制定して、維持会員制にする。

56年 5月21日 機関誌「敬天舎同人」第一号を発刊する


以上が敬天舎の年譜です。
これ以降は毎年発行されます敬天舎同人誌の「同人春秋」欄をご覧ください。