ヨーロッパから日本を見る
(磯村尚徳氏の講演を拝聴した感想)

  山下憲男


 仕事の関連で昨秋(平成9年)、「ミスターNHK」こと、元NHK文化人の磯村氏の講演を拝聴しました。

 講演内容は、ややもすると米国流の価値観が経済、文化面で横行する兆しのある日本に警鐘を鳴らし、伝統のあるヨーロッパ的見方が歴史のある日本にも必要と訴えた「伝統の革新」がテーマでしたので、感想文を同人誌に掲載させていただきます。


 今日は大変暖かく、俗にいうインディアン・サマーですが、これは今、アメリカではPC(ポリティカリコレタト)、政治的に妥当な表現を使わなくてはいけないということで、ネイティブ・アメリカンズ・サマーと言うそうです。

 私が64年から71年までアメリカに住んだ時は、ブラックピープルズとかブラックパワーと言っていてブラックは禁止用語ではなかったのに、今はアフロアメリカンズ、アフリカ系アメリカ人とかサンタンピープル、よく日焼けした人と言わなければいけない。ついでに申しますと、「はげ」というのはヘアディサードパンテッジ、「髪の毛に不利益を被った方」と言うそうです。

 こういうバカみたいな話を大真面目にやるのが今のアメリカで昨日はウォールストリートで株価が急落しましたが、アメリカがちょっとおかしいのですね。ところが、日本でそんなことを言うと、そう言う人の方が頭がおかしいと言われかねない。

 
私は日本の製造業の能力はまだ世界一だと思いますが、日本の評論やマスコミ界、産業界はアメリカ好きの方が多数派のようで、どうしてもアメリカの見方で世界を見る。そうしますと、もう日本はガタガタだという「日本だめ論」が主流になっています。

 例えは、6本のマッチ棒で4つの三角形を作るということを平面でやろうとすればできませんが、立体の正三角錐を作ればできます。 世界の中の日本を考える場合にも、アメリカと日本およびアジアという平面的な関係だけでは分かりにくくなっており、3次元の立体的な視点から見ればよりよく日本が分かると思いますので、今日はあえて「ヨーロッパから日本を見る」という題でお話をしたいと思います。

 私の話は3つの点であります。

1つは今、日本では日本がだめだという見方が主流ですが、ヨーロッパから見ると2005年の愛知万博が決まったように日本の存在感は高まっており、世界において日本の信用はまだまだ損なわれていない。そういう意味で自信を失わないでいただきたいということ。

2番目に立体的な見方をするためにヨーロッパはアメリカをどう見ているかをお話しして、最後に、これから21世紀に日本が心がけていくべき提案的なものを申し上げたいと思います。


 ヨーロッパは日本をどう見ているか

 長い間、ヨーロッパでの日本の存在感はやはりトヨタ、日産、ホンダ、ソニーなどの優れた日本製品によって認識をされていました。それがバブル期にジャパンマネーが世界の土地やロックフェラーセンターやハリウッドの会社等を買収して、金という存在感が出てきた。

 そして今、そうした積重ねが開花して日本の文化、つまり生活様式とか物の考え方の存在感が大変に大きくなっています。日本とフランスの付き合いは文化面では長く日本の片思いの時代が続きましたが、この10年ほどでずいぶん様変わりしています。

 例えば、フランスのシラク大統領の日本文化への造詣の度合いは、相当なものです。

例えば、『奥の細道』を一部歩かれた方、あるいは松尾芭蕉が亡くなって何年ぐらいになるかご存じですか。

 シラクさんはパリ市長時代に奥さんと通訳を連れて奥の細道を歩かれていて、「万葉集」も大好きで日本の書画骨董にも精通している。愛知万博の支持を求めに行った小渕会長代行に「外務省が何と言おうと大統領の私がいう。フランスは愛知万博を支持します」と言われたほどの親日家ですから、今、フランスで日仏関係の仕事をするには追い風が吹いています。

 今年はフランスにおける日本年で、日仏両政府の15年来の懸案だった日本文化会館がエツフェル塔にほど近いパリの一等地に今年5月(平成9年5月)に開館したのを機に、来年3月まで500に近い諸行事が計画されています。

 秋から一般公開した日本文化会館が早くもパリの新名所になりつつあるのを見ても、フランス人の日本への関心が並々ならぬものであることはお分かりいただけると思います。

 例えば、今、どこのフランスのレストランヘ行っても、世界のどの航空会社の飛行機に乗ってもおしぽり的なものが出ます。料理は文化の最たるものですが、私が初めてフランスに行った1957(昭和32)年にはフランス在住の日本人は600人、日本料理屋はパリにたった1軒でした。それが2回目に77年から82年にいた折は32軒になり、今は200軒を越えている。

 あるいは柔道。今、フランスは世界一の柔道王国で人口比の柔道の普及率はフランスが日本をはるかに上回っており、アトランタオリンピックで優勝したドゥイエ選手とそのコーチが何と言ったかと言うと、「柔道は単なるスポーツではない、『道』である。だから、試合の前には必ず座禅を組んで精神統一をして、単なるスポーツではないという先生の遺訓を守って健闘したから我々は勝てたのだ」と。

 かつて我々の先輩は「和魂洋才」と申しましたが、フランスの柔道選手を見ていると今は逆に「洋魂和才」の時代だとすら思えるのです。

 日本ではすっかりすたれている映画もフランスでは依然として盛んで、今年日本は世界の4大映画祭のうちの3つで大賞を取りました。

 ヴェネティアで大賞を取った「HANABI」の監督北野武は日本では毒舌とギャグで知られてますが、フランスでは映画監督としてちょっとした映画ファンなら必ず知っています。図書にしても、日本からかなりの量の図書が輸入されていて、最近5年間の芥川賞の受賞者の名前を言える人は日本でも少ないのに、芥川賞の受賞作は直ちにフランス語に翻訳されて大学生ともなるとその一つやこつは読んでいる。

 谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、遠藤周作などはクラシックと呼ばれていて、彼らの著作を読んでいないとインテリとはみなされない。日本の漫画やアニメ、プリクラも若い人たちに親しまれているのです。

 自分の国こそ世界の文化の中心だと思っているようなフランス人が、これほど日本文化に興味を示し、関心が深まろうとは私は夢想だにしてませんでした。

 その圧巻が先日帰国した国立文楽劇場のパリ公演の大成功です。1200席が1週間連日満員札止めで、観客は翻訳がないので開演前に説明書を読みふけり、「曽根崎心中」の最後の場面ではフランス男が涙をぽろぽろ流している。

 楽日に14回のアンコールを終えた人形遣いの吉田簑助さんが「今日は感激しました。これが日本だったらねえ。これが日本だったらねえ」とくり返された言葉がいまも耳に残っています。

 フランス人が「東京物語」の小津安二郎監督を最も尊敬し、日本人にすら難しい義太夫の語りと人形遣いの芸に心を揺さぶられるということは、どういうことなのでしょうか。私には日本人とフランス人には感性の共同体のようなものがあるように思われます。

 東大教授で『マルチメディア』という本の著者の西垣通はフランスのランス大学でも教えていて、彼がアメリカの理系の学生に芭蕉の「夏草やつわものどもが夢の跡」という句を聞かせたら、「ソウ・ホワット(だからどうした)」というけれどもフランスの学生はすぐ分かる。フランスには十何世紀以来のシャトーの廃墟があるから、ああ、ああいう所で詠んだんだなと分かると言っています。


ヨーロッパの見るアメリカ

では、どうして日本文化がそれだけの存在感を持つに至ったのかと言えば、この背景にはアメリカ文化へのアンチテーゼという意味合いがあります。

 21世紀を迎えてインターネットやマルチメディアがこのまま文化の主流になるならば、それは人類にとっては非常に悲しい出来事だというヨーロッパの人々のアメリカ文化への不信感が、相対的に日本文化の高い人気に結ジついたのです。 このことをご理解頂くためにヨーロッパの見るアメリカについて考えてみたいと思います。

 

一つの例証としてセックスの問題を取り上げると、今、アメリカではセックスのマッカーシズムが吹き荒れていると言われます。マッカーシズムは50年代に言論界、映画界、政界などから共産主義のシンパであった人たちを公職から追放した、いわゆる“赤狩り”ですが、性のマッカーシズム、いってみれば不倫狩りが起きている。

 女性で初めてB52のパイロットになった人が上官との不倫を問われて軍法会議にかけられ、空軍幕僚長が13年前の不倫を理由に統幕議長の座を棒に振っている。クリントン大統領自身も州知事時代のセクハラの嫌疑で間もなく裁判が始まります。

 これら一連の出来事をヨーロッパの人たちは、アメリカ人の偽善者ぶりがこんなに明確に現れたものはないと見ています。

 2人に1人が離婚経験者、2回以上離婚の経験している人が3人に1人いて、日常的に犯罪が起きている国の人が、公務に影響がないのに不倫を理由に公職から外していく。これにヨーロッパの人はサディステイクなものを感じるわけです。

 世界で唯一の軍事超大国で、弱みと言われていた経済まで18カ月間のGDPのネットの成長率が先々月までで36%、失業率は49%という絶好調を誇り、ニュー・バラタイム・オプ・エコノミックスというアメリカ型経済政策で規制緩和をやっていけば、もはや景気循環などあり得ないと豪語するアメリカ。

 

そういう得意の絶頂期にある人間や国家ほど怖いものはないというのがヨーロッパのアメリカ批判の論調です。フランス人はミッテランが50人の恋人にラブレターを書こうが、彼が大統領の座にふさわしいかどうかは披の政治の行状によって判断されるべきで、彼は神父ではないという考え方ですから、世界一強力な国がそういう幼児性を持っていることが実は不安要素だというのです。
 

つまり、アメリカはソ連との冷戦に勝って、ソ連型共産主義に欠陥があったことは歴史の審判が下った。自由とマーケットエコノミーと民主主義が勝利したからには、これ以外のイデオロギーは真実ではない。イスラムはもちろん日本やフランスやドイツの混合経済的な官、即ち政府がある程度市場に介入する経済策は市場経済に反する。

 そして、そういう異なった文明が、例えばイスラム世界とアメリカ世界、あるいは日本を中心とする儒教的な世界とが来世紀にいずれ衝突するということをハーバード大のハンティントン教授が発表していて、アメリカの政府と相当数の人がそれを信じているようなのです。

 アメリカの指導者には今やアメリカとその他の人々ということしか頭にない、とフランス人は言っています。

 そのおごりを崩そうとフランス人はアメリカ型市場経済を“アメリカ型カジノ経済”と呼んで、その成功は日本製の工作機械やトヨタのかんばん方式など日本の生産管理技術に依拠しつつ、ウォール街を中心に世界市場に様々な投機をして株式市場を撹乱するカジノ経済で何となく経済が回ってはいる。けれど、アメリカ国内の貫富の差は拡大していると指摘している。一言でいえば、今のアメリカ人は自分たちの正しい考えを全世界に押し広めようとする市場原理主義者であり、今、人類が問われている命題は市場か、人生かである。フランス人は躊躇なく人生を選ぶ、とル・モンドの社説は宣言しています。

 先のデンパーサミットで行ったクリントンの自画自賛の演説に対し、ドイツのコール首相は「我々はそんなにマーケットというものの神話に酔ってはいない。我々はむしろ庶民の連帯、ソリダリティの方にこそ重点を置いて考える」と論評し、シラク大統領は「もはやアメリカのおごりを崩すにはユーロしかない。やがてヨーロッパの共通通貨はどんな混乱があろうと実現するであろう」と発言しました。

 来年にはヨーロッパの11カ国がユーロをつくる準備体制に入り、991月からいよいよヨーロッパ共通通貨ユーロが発足します。
 

つまり、アメリカの主張する一つの神話に振り回されるのは原理主義者であって、こういうものに耳を傾けるべきではないと私は思います。

とにかく日米安保条約があって朝鮮半島のような不安定要素がある状況では、日本はアメリカとの友好関係を崩すべきでないと思いますが、同時に他者が見るアメリカというものもきちんとわきまえておく必要がある。
 

そういう意味で自分なりの立体的な視点を築くべきだというのが私の持論であり、最近とくに痛切に感じています。


21世紀に日本が考えること

 以上のようなことから、どういうことが考えられるかということを3つほど申し上げたいと思います。 

一つは“伝統の革新”ということです。日本人が思っている以上にヨーロッパは、アメリカ文化のアンチテーゼとして日本のような2000年に近い歴史を持つ国の文化や伝統に啓発をされ、改めて敬意を払いつつある。

 なぜ、様々な障害があるにもかかわらず、15カ国が共通通貨を作り政治統合にまで進もうとしているのかを考えてみると、少なくとも西暦800年頃からシヤルルマーニュ大帝が支配したヨーロッパ、現在のフランス、ドイツ、イタリー、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ辺りを一円とするヨーロッパはキリスト教の伝統に立ち、かつまた古代ローマ、古代ギリシャの一つの価値体系を連綿として受け継いで、今日に至っている。

 そうして築いてきた国々の伝統文化を何とかして守っていこうということが、ヨーロッパ統合運動の精神的な基盤なのです。

そういう伝統の追求というのはこれをそのまま守るのではなく、伝統の中にこそ革新があるということが今、盛んに言われていて、これは日本でもっともっと言われていいのではないかと思います。

 例えば、アメリカという国は一種の現代性、近代性のモデルの国でした。

大量生産、大量消費、そして今日のマルチメディアの世界では大量情報というスケールメリットを駆使して近代性を追求してきた。

 そういう国がたどり着いた現状はもちろん悪い点ばかりではありませんが、環境問題との関連でいうと、アメリカ人が年間に捨てる20億のかみそりの刃と、8000万の車のバッテリーと、22000万本のタイヤと、250億のプラスチック容器と、現在、アメリカ人が使っている木と紙を燃やすとすれば、何と向こう200年間に渡って500万戸の家の暖房を供することができる。

 こういう壮大な消費をしている国が、12月の温暖化防止京都会議に向けて二酸化炭素など温室効果ガスの排出量を2008年から12年間で1990年のレベルに戻す、それまでは排出規制はやらないと言い、一方、ヨーロッパは90年の温室効果ガス排出量の15%を削減すべきだと主張している。

今、そういうアメリカ型の近代性を追求する意識と、もう少し伝統というものに立とうとする意識の2つの潮流があるわけです。

 日本は5%を削減目標としていますが、実は日本の伝統こそ「慎ましさ」あるいは「もったいない」という観念だと思います。

 日本人は「物殺し」といって、物を無駄遣いするのは物を殺していることになると戒め、針供養をしたり愛車と呼んだり、工作機械やコンピュータにまで愛称をつけてきた。

日本こそが、そういう物を大切にする観念の先頭に立つべき伝統を持っているのではないか。

 日本は近代以来、近代性の追求、欧米に追いつき追い越すということを目標にやってきましたが、例えば、2005年の愛知万博が違った哲学に立つというならば、それはもったいないという原点に立つ、「アメリカン・ウェイ・オプ・ライフよ、さようなら。ジャパニーズ・ウェイ・オプ・ライフをつくろう」ということで、それは伝統と革新ではなく、伝統の革新を追求すベきだと私は思います。

 これは今年の国民生活白書の「今日、最も伝統的なるものこそ、最も革新的である」という言葉に言い尽くされるのではないでしょうか。

少品種大童生産から多品種少量生産が可能になり、消費意欲をそそられた時代をそろそろ卒業すべき時期に来ている。
 

それと、日本経済の活性化というのは極めて難しい要求ですが、そういう時代に我々はいるのではないかと思います。

 2番目は、世界の中の日本の存在感にもう一つ品位が欲しいということです。

 
例えば、文楽の人間国宝の吉田蓑助、吉田玉男さんは、飛行機の中で背広姿でいらしても一芸に秀でた方の品位は違います。

とかく外国に出ると旅の恥はかき捨てになるのか、三ツ星の超一流レストランでもカジュアルな服装の日本人が尊大な態度で札びらを切っているのを見ると、日本人も困ったものだなあと思うのです。

 最後に、私はアメリカとヨーロッパ、アジアと中東と海外駐在を経験できたことが、何よりの財産になったと思っています。

もし機会と意欲がおありならばできるだけ多様なこの世界を経験して、世界は決して日本のジャーナリズムに出てくるアメリカ色に塗られた世界だけではないということをお考えいただきたい。


磯村尚徳氏のプロフィール

1929年東京生まれ。学習院大学政経学部卒業。入局は53年。外信部、ヨーロッパ総局やワシントン支局で活躍。74年「ニュースセンター9時」のキャスターとなり、人気を博す。78年ユーロッパ総局長としてパリへ。82年報道局長就任のため帰国。84年フランス政府より国家功労賞を贈られる。特別主幹、専務理事待遇を経てNHKを退社。現在、ユネスコ事務総長特別顧問、パリ文化会館館長、國學院大學日本文化研究所教授。 


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