日本産業は死なず

「売れるようにすれば売れる」
Voice七月号(株)PHP研究所発行より転載

日本市場はもはや成熟したという常套句の誤り

唐津一(東海大学教授)

不況だがフアンダメンタルズ(fundameentals:一国の経済状態や通貨価値を判断する基礎的指標。成長率・インフレ率・失業率・経常収支など)は好調の怪

 日本の不況は消費者心理が冷えたためだというのが、やっと世間の定説になってきた。マスコミが消費者の不安を煽りつづけてていると必ず不況になると本誌の昨年七月号に厳く指摘しておいたのだが、そのとおりになってしまった。

だから今回の不況はマスコミ不況と名づけて歴史の一頁に書き加えてはしいものである。とにかく過去二年間飽きもせ毎日の新聞の第一面に出てきたのが金融凝券業界の不祥事と政府の対応のまずさの話ばかりであった。

それにこれまでほとんど話題にもならなかった大蔵省や日銀の内部までが赤裸々になったのだから、新聞が張り切ったのも無理はない。そのために日本の経済を支える基本的産業である製造業の話題は、この間、新年号以外には第一面にほとんど出ないというまったく異常な現象が発生した。 

ところが不思議なことに、今年四月になってから金融証券業界のスキャンダルが.バッタリ出なくなって、フツウの話が出るよろになった。これで世間の気持も平静に戻る。

マスコミがバランス感覚を失うという事態が二年間も続けば、毎白これを聞かされてきた世の中が失調状態になる。

 しかし世間には伝わらなくても、この二年間に製造業では見事な成果を上げた話がいくらでもあった。だから、日本の製造業がしこしこ努力してきたおかげで、世間は不況だが日本のファンダメンタルズはけっして悪くないといった奇妙なことになつたのである。

それは数字がものの見事に物語っている。

 企業単位で見ると、製造業には史上最高といわれる業績を上げたところがこの期間中にいくらでもあった。その集積の結果として、一昨年(一九九六年)の日本のGDPはとうとう五百兆円を突破し、その成長率は三・六%と工業先進国のなかでは最高であった。アメリカは二・五%だったから、はるかにこれを抜いていたけだ。しかもこれは内需が四・四%、外需はマイナス〇・九%だったのだから、アメリカなどにいわれなくても内需は十分伸びていたのである。この数字で見るかぎり、一昨年の日本経済は健全で好況そのものだったと結論づけることができたはずだった。

この好況は政府の不況対策費十七兆円が有効に効いた結果だという説があるが、それは間違いだ。その年パチンコの売上げは三十兆円である。政府の出す金の規模など知れている。なんといっても個人消費の活性化が景気を支配する。

日本の経済の足取りとしては一九九三年に一度底をつき、その後見事に回復してきていたことが数字として出ている。しかも円高対策もあって急速に増加した海外生産が、九五年には四十一兆円で国内生産にさらに上乗せしている。この数字は韓国のGDPより大きい。ところが、日本はバブルがはじけた九〇年二月以来不況が続いているといまでも説く経済の専門家がいるのだから、彼らはいったい何を根拠にいっているのか聞いてみたいものである。

 運悪く、この間に金融証券業界の不祥事が次々と続いた。北海道拓殖銀行が潰れるし、まさかと思っていた山一証券がムーデイーズの格付けが引き金となって手を上げるといった青天の霹靂のような事件が続いた。そのために目がそちらばかりに向いてしまったにちがいない。九六年にこれだけ見事な数字を実現した製造業の努力には彼らの目がまったく向かなかったのだ。これははなはだ迷惑な話である。その結果、国民すべてに日本の経済はだめだという考え方を植えつけてしまったのだから罪は大きい。

 しかし済んだことに文句をいっても仕方がない。これからどうするかである。それには、とにかく二百九十兆円もある個人消費市場を活性化するしかない。よくいわれるように日本の個人金融資産は千二百兆円という。この額は海外から見ると信じられないくらい膨大な金だ。これが消費に結びつけば、いまの不況など一遍に吹き飛んでしまうことは確かだ。 アメリカからは日本経済の立て直しについて差し出がましくいってくるが、個人消真の活性化についての具体的な話は一つもない。彼らが口癖のようにいう内需の活性化といっても掛け声ばかりの中身なしだ。その程度の話なら素人にもできる。それをそのまま請け売りして伝える日本のマスコミはもっとしっかりしてほしい。

 政府は不況対策と称して十六兆円規模の金を出すといっているが、その中身を見ると相も変らず公共投資が中心で、しかも各事業分野に対する配分比率が驚くべきことに過去二十年間で1%と変わっていない。この数字こそマスコミは糾弾すべきであ。

だが、民間企業はそんなことは百も承知だ。マスコミが企業関係者に聞きに行けばそれ相応の返事をするだろうが、日本特有の建前の話ばかりで、誰も本気で内輪の話をするわけ がない。それは企業機密の最大のものだからである。しかし、どの企業でもそれなりに戦略を練っている。その努力をここで紹介したいと考えて書きはじめたわけである。もちろん中身の具体的なことは説明しにくい。しかし、そこでの指導原理には共通要素がある。


 高感度消費の時代

四月半ば大阪の関経連で理事会のあとの講演を頼まれた。

 定例理事会のあとだけに、集まったのは大阪財界人のお歴々で、社長、会長クラスの社会的にも著名な方々ばかりで、お顔を存じあげている方が何人もおられた。そこで終りに質問を受けた。

講演のなかでいまの消費は高感度消費、つまり何か面白い気に入った商品が出てくるとまったく突然のような形で消費が出てくるという話をしたが、「その実例は何か」という質間が出た。そこで、ちょうどポケットに入れていた”見えるラジオ”を取り出した。

「これが昨年突然売れはじめて二百万台を超しせした。二百万台いうとちょつとした数字です。これはFM放送の電波のなかにデジタル信号を入れてニュースや天気予報を文字で出すというアイデアです。つまりポケベルのFM版です」と答えた。

 FMラジオで文字を送るというアイデアは技術者なら誰でも考えるものだが、最初はさっぱり普及しなかった。ところがあるアイデアを具体化したら突然売れだした。それはニュースとは別にタレント動向についての情報を流しはじめたのである。それで、あっという間に二百万台を超してさらに売れている。 

これを例外的な話と思っては間違える。いまの消費者はこれくらいのものを買う金は十分もっている。だからこれは面白いと思ったら、あっという間に普及するのである。まさに高感度消費の時代なのだ。赤ワインがバカ当りして売れているのも同じだ。「モノがここまで普及してしまったものだから、もう買うものがない」といった説をいまでもまことやかに説く人がいる。これは絶対に間違いである。アイデア次第でこれから売れるものはいくらでも出てくるという現実について無知だ、というだけのことである。

 ラジオなどは普及しつくした成熟商品と彼らはいうだろう。ところがそれでもちょつとしたアイデアを組み込むこで、あっという間に二百万台という物凄い数の新規市場が開拓できたのだ。このような新しい可能性を発掘するために、どの企業も必死である。その努力を理解もせずに傍観者的に水を浴びせる態度はまったく不愉快だ。知らない人はつい本気にする。

 

行政もこのような民間企業の果てしない努力をよく理解してほしい。行政の役割は仕事の本質を見抜き、民間がやりやすいように枠組みを用意することだ。それ以上に口出しをすると碌なことはない。追いつめられた企業人はすごい創造性を発揮する。技術的に見れば、このFM放送局はあたえられた電波の隙間をうまく利用してデジタル信号をのせただけだが、これが一年で二百万台の需要に結びつくなどと誰も予想しなかった。新しい需要を開拓するとは、このようなことである。

 そこではもちろん先見性が重要だが、初めからだめだと決めつけないでとにかくやってみることである。四月に福岡県飯塚市でロータリークラブの大きな国際大会があって、福岡県知事の麻生渡さんと講演と対談をやった。その際、知事から産業活性化のための福岡トライアングル構想の話があったが、それを実現するためのインフラとして光ファイバーを引き巡らすという話がでた。そこで私はただちに提案した。「その回線は当分無料で開放したらいかがですか?一般道路はもともと無料で事が走っていても誰も不思議に思いません。せっかく情報ハイウェーというなら、公共インフラといぅ考えからすれぼ無料でも少しもおかしくないはずです。一般道路が無料なのですから整合性は十分とれます」。このように提案したら会場から拍手がわいた。

 すでにこれまでにも情報ハイウェーというので光ファイバーを引いてその利用を促すという話があるが、はっきりいって、うまくいっていない。それはコストが掛かるのに、それに見合う付加価値が出てこないからである。新しい酒には新しい草袋を用意しなくては、せっかくの酒の味をフルに引き出せるわけがない。

 アメリカでゴア副大統領が提案した情報ハイウェー構想は、光ファイバー網を全国に張り巡らし、一般道路並みに使わせようということなのだ。その形ばかり真似してもだめである。これこそ公共投資の絶好の対象だと思っていたのに、今年も在来型の土建屋にその予算をもつていかれた。またもや狐か狸しか使わない立派な道路や、船の滅多に寄りつかない港ができるだろう。これでは政府は二十一世紀へのセンスがないといわれても仕方があるまい。


 売れる売れないは不況とは関係がない

だから政府に頼ることはもう程々にして、民間企業には国家予算の四倍近い個人消費という素晴らしい巨大市場があるのだから、それをどのよう忙して掘り起していくかについて全能カを傾けることである。そのためにはどうすればよいかの基本を紹介する。その原理はじつは簡単だ「売れるようにすれば売れる」ということである。

今年三月期の決算で話題を呼んだのはイトーヨーカ堂グループで、そのなかでもセブン・イレブンはとくに好調だった。他社が軒並み心理的不況の煽りをくって、売上げ、利益ともに減少というなかで、セブン・イレブンだけは増収増益の達続だった。それが一つや二つの店の話ではない。あれだけ全国展開しているチェーン店なのだからすごい。その謎は一言につきる。「売れる品物だけを揃えて売っている」からである。売れないものはいくら並べても売れるわけはない。売れる売れないは不況とは関係がない。

 その具体的な手法をここで紹介する。コンビニエンスストアといっても店の立地条件により、季節により、また曜日などで売れる商品は店ビとにそれぞれ特有の違いがある。それをどのよう忙してうまく店ごとに最適化して調整していくかが勝負である。このために、店ごとに実に見事なハイテクを導入しているのだが、不思諌なことにこの決め手になっでいる内容が世間で知られていない。

 
先日あるマーケティング専門の友人がいっていた。いま、どのようなコンビニエンスストアでも、支払いにはPOSシステムを導入している。そのとき商品に付いているバーコーを読み取って精算するのだが、ある他のコンビニ店でわざとバーコードの張り紙をはがして襲し出した。すると店員が値段を覚えていて、そのままレジにインプットして精算した。ところが、あるセブン・イレブンの店でそれをやったら、店員がわざわざバーコード用紙を張っている商品と取り替えてから、レジにインプットしたというのである。このようにしないと商品の動きが正確にインプツトてきないからだ。

セブン・イレブンでは、商品の動きを細大もらさず正確にPOSにインプットするように全国的に指示している。こ心をコンピューターで集計してその傾向をつかめば、どの店に明日の何時にどの商品を届けるべきかがすべて出てくる。新商品を出したら、その日のうちに顧客の反応が正確に見ええような仕掛けが用意してあるのだ。

アイスクリームの売れ行きは、天候や気温それに曜日や旦の地区の催事でえらく違ってくる。POSから得た正確なゴータを分析しておけば、過不足なく配送ができることはもよお分りだろう。ここで例に挙げたすべてが、「売れるようかすれば売れる」という原理の実現であって、個人消費市場で成功を収めるための基本的な方法論がある。これは政府支出とはまったく別の発想の世界だ。そしてこのような緻密な努力を、日本経済の六割を動かす個人消費分野の企業人すべてが払うべきだとここで主張しているのである。

いま住宅設備関連が悪いというが、大塚家具はその企画が当って増収増益が続いている。先日、東京有明にできた家具センターが見事な運営をしていることをある会合で話したら、そのことを聞きつけた同社の常務さんからお手紙を頂いた。

有明がヒットしたので、今度は大阪にも家具センターを計画しているというのである。そこには不況の話などまったくない。この種の設備投資は、世間が不況のときを見はからってやるのがコストも安べなるし絶好のタイミングだというのが経営の常識である。この原則どおりに大塚家具はやっているのである。また普及率が完全に頭打ちとなって、秋葉原の落日が始まったとさえいわれた家電業界だが、旧来の戦略のなかで安住してきた店がおかしくなっただけであって、ここでは新製品が目白押しで新しい顧客層を引き付けている。

MDはとっくの昔に三百万台を超して、いまや録音再生機器の主流となってきた。そのうちに長いあいだお馴染みだったカセット式のテープレコーダーは姿を消すにちがいない。車の運転席ではいつの間にかカセットテープが姿を消してMDになっている。その事の年式はMD化を見れば分るとさえいわれるほどだ。

 ソニーが出した画面が平面の大型テレビは、昨年暮の目玉商品として引っ張りだこで、いくらつくっても足りなかった。これは現物を従来型と比べてみれば、その違いがすぐ分るはどの画像の差である。テレビは随分前から成熟商品といわれた。この言葉だけを開くと、これ以上売れるはずがないという印象を誰でも受けるだろうが現実はまったく違う。それでも新しい技術は人々に魅力を感じさせるのである。この差別化が大ヒットしたものだから、各社ともそのあとを追いかけて画面の平面化を進めている。

 新商品であるデジタルスチルカメラも好調を続けていて、フィルムカメラとは違った市場の開拓に成功しっつある。パソコン業界での話題は、従来のコンピューターメーカーが中心になって供給していたノートパソコン業界で異変が起きたこととである。家電メーカーだったはずの松下とソニーのサブノートが猛然と売れている。

 これらはもちろん、この不況といわれている世の中で現実に進行しっつある現象であって、理屈でもなければ作り話でもない。つまり「売れるものをつくれば必ず売れる」を地で行っているわけだ。いま元気のよい企業はマスコミが書かないだけで、日本にはけっこうある。

三月初旬にJETROの依頼でパリに講演に行ったとき、着いた日に偶然日本からの新聞を見た。そこに鉄鋼五社の3月度決算の数字が出ていたのだが、なんと三社が増収増益で、新日鉄は利益が一千億円とある。これを早速スライドにして話のなかに織りこんだ。これが日本の製造業の実力だ。金融証券業界とはまったく空気が違うのが日本の製造業だとやったら大きな反響があった。しかもその後聞いてみると、新日鐵の昨年の研究費は五百六十億円だという。まさに不況などどこの話しだという気がする。

しかし元気企業のなかでも、いま特筆したいのは工作機械メーカーである。四月の工業会の発表では、好調が四十三カ月続いたという。昔から工作機械の売上げは景気の先行指標というのが常識だった。つまりモノをつくるには工作機械がいる。そこで工作横械が売れはじめると景気が回復するとわ論理であって、事実これはこれまや通用してきた経験的法則であつた。

ところが工作機械業界は五月には国内が少し落ちたがいまだに好調である。しかもその売れ先の六〇%は自動車業界だという。その原因は分っている。いま自動車業界では燃料消費が三〇%もカットできる直噴エンジンへの切り替えにおおわらわである。それに安全対策としてボディの構造が変る。またハイブリッド・カーに見られるような省エネ排ガス対策など、新技術の導入がずらりである。それには新しい工作機械の導入なしでは対応できない。つまりクルマ側の技術革新がこの新規需要を生んだ。

いすゞ自動車ではGMとタイアップして自動車用ディーゼルエンジンの集中生産を行い、世界最大のディーゼルメーカーとしての生産体制を整えつつある。だからここでは世間の不況の話などまるで関係なしに新工作機械の導入が進むわけだ。つまり売れるものを出せば売れるという原理がここでも通用している。

その設備がなければモノができなめという商品は強力だ。和歌山の島精機は、いまや多忙で会社の受注残がどれだけあるかまだ聞いていないが、かなり先までいっぱいだという。それはまつたく継ぎ目のないニット縮み機を世界で最初に完成し生産に入ったからである。島精機はこれまでにも他社に先駆けてユニークな製品を出すことで有名である。以前にもコンピューター・グラフィックでデザインしたデータを、そのまま編み磯にかけると自動的に仕上がって出てくるという機械をみせてもらったことがあるが、今度のはこれまでのニット縮み機の夢であった継ぎ目なしというのだから、これは売れることは間違いない。


新産業の種は尽きない

 このような話を続けていくと、「それは日本のなかでもきわめて特殊な企業の話だ、わが社の経営の参考にはまったくならない」という人もいるだろう。ところが、ここに日本の経済のなかで急成長している分野がある。しかも、それはどこの町でも見受ける最も身近な仕事だ。「ずぼら産業」である

  いま、サービス業従事者数が急速に増加し、とうとち三年前に製造業従事者数を抜き、さらに増加を続けている。このようにいうと、昔から経済はソフト化サービス化するというではないか、とこともなげにいう人があるかもしれない。しかしサービス化とは何かである。

一昔前には、サービス産業の従事者数は製造業や小売り飲食店のような流通関係者に比べてものの数ではなかったから、その中身については多少曖昧でもよかったかもしれない。しかし、急成長していまや製造業を抜いて従事者数のトップになったとなると、厳密な定義から始めないとこれからの経済を考えるうえでおかしなことになる。

 総務庁は平成八年にサービス産業基礎調査というかなり分厚な報告書を公表している。それにはすごい統計が出ていた。この調査で扱ったのは、平成元年から六年までの五年間だが、この間の製造業の成長率は〇・五%で規模が三百兆円であった。これに対してサービス業では、なんと四六・九%の成長となっていた。つまり、平成不況の真っ最中にサービス業だけは見事な成長ぶりを示して百十八兆円に達していたのだった。そのなかで対個人サービスの成長率はなんと六四・七%となっている。このなかにはパチンコという異常成長した産業も入ってはいるが、とにかくこの数字は青息吐息といわれた平成不況のなかで、世間でいわれていた空気とはまったくかけ離れて高度成長を続けていたのだから見逃がすわけにはいかない。

 
つまりこの期間、日本経済のダイナミズムはサービス業で 発揮されていたことが数字で証明されている。それがサービス人口の急速な増加というデータで、この産業の成長ぶりの裏づけとして出てきものである。

さてここでいうサービスとは何かである。これはもちろん英語である。そこでイギリスのウエブスター辞書を引いてみたら、真っ先に出てきたのがサーバント(召使い)、スレイブ(奴隷)といった種類の言葉である。その次に軍隊に入って国に尽くすとか、テニスのサーブ等と続くが、まとめてみると、誰かのために何かの仕事を代行する仕事という意味である。これでサービス業の高度成長の意味が分った。過去二十年間続けられてきた総理府の国民生活に関する調査には、際立った現象が示されている。それは、日本の消費者は衣食住といった生活の基本的条件に対してはほぼ満足する状態に達したものだから、レジャー、余暇、サービスなどに金を使いはじめたということである。

 とくに自分でやるのが面倒な仕事や嫌な作業は、金を払って人に代行してもらうことが当り前になってきた。家の引っ越しは昔は自分でやったものだが、いまや引っ越し産業はやりである。ゴルフやスキーに行くにも道具は宅配便で送る。家庭科理も台所で自分でつくるのは廃れてきた。自分で料理しなくても出来合いの調理済みのインスタント食品が何でも買える。夕方街を歩いていると、白い袋をぶら提げて家路を急ぐ勤め人の姿を見受けるのが町の風景になつたのはそれだ。

 つまり、面倒なものは何でも金さえ出せば引き受けてくれる代行業が急速に発達した。これがまさにサービス業そのものであって、日本人の生活にゆとりが出てきたため生まれた、いわば「ずぼら産業」である。
 

さてここまで分ってくると、いま成長を始めたビジネス・チャンスのヒントがいくらでもここから出てくるはずだ。つまり自分で手を掛けるのが面倒な仕事を片っ端から引き受ける産業である.すでに大掃除屋は夫婦共稼ぎの家庭では不可欠な産業になった。受験塾も様変わりして数人に人数を限定したミニ塾が大はやりである。大型の塾よりも面倒見がよいという理由もあるが、これも親が当然やるべきことを代行するずぼら産業の一種である。この種の産業は、統計分類上は、その他産業になっているが、これが高度成長をしていることは確かだ。

 ところで新産業の種はもちろんこれだけではない。いま世間で騒がれている環境問題、省エネ、高齢化などから始まって、最近問題となっている環境ホルモンなど、その対応策を考えると新ビジネスはいくらでも出てくる。これらはいわば「後始末産業」である。 

 ダイオキシン大型の焼却炉でなくては発生を予防できないといわれて、小さな町では対応策に困っていたが、南極越冬隊が小型炉で十分いけたはずなのに、おかしいと思ってたらやはり小型炉が出た。人は何か困るとなんとか切り抜ける方法を考え出し、それが必ずニュービジネスになっている。このようなことから社会のボトルネック、つまりこれからの困難な社会的問題は何かの項目を指摘して、その被害が甚大なことを訴えれば、その後始末をする方法がすべてニュービジネスになる。

 いま日本の造船会社が稼ぎまくっているニュービジネスの一つが、ごみ焼却プラントである。造船会社のボイラー技術がここで生きてきた。ごみから出る熱を有効利用して発電までするとワンセット百億円だという。大型タンカーがせいぜい五十億円だからそれよりも割がよい。このようにボトルネックを探していくと、日本は問題が多いだけにこの国は宝の山だ。

 日本に何も問題がなくなって、どちらを向いてもうまくいっているということになってしまったら、そんな国には住みたくない。それは極楽というのであって、その次には往生という字が付く。日本にはじつに多くの問題がある。

昔風にいえば日本は地獄だ。地獄だからこそビジネス・チャンスがあるのだ。しかもビジネス・チャンスはつねに不況のときに生まれる。そのために日本という市場を、また世界の動きを観察しようできないか。そこから「ずぽら産業」や「後始末産業」の発想が生れる。

 

未来は過去の延長ではない。過去の経験だけでものをいっているあいだはだめである。とかくこの国のファンダメンタルズの数字は世界のなかでも最高だ。それが不況というのは何かがおかしい。そこをつつきまわせば必ず未来への種が見つかる。ここではわずかの例を挙げただけだが、これらはすべて現実に進行している話であって、天下国家の話でもなければ原理原則論でもない。これらをヒントにいかに対応すベきかを皆で考えようではないか。
                                            山下憲男 纏め