蒲生郷「太鼓坊主」の目的と活動


伝統の上に育まれた日本の民族芸能である和太鼓を見直し、この遺産を受け継ぎ発展させることを目的としている。

活動の柱に、交流<人間・文化>研究<学ぶ>創造<つくる>の三つを置き、自らの可能性を発掘し、愛汗の精神をもって演奏活動と育成指導を通し青少年の健全な育成と平和なふるさとづくりや人づくりに精進することとしている。

「蒲生郷太鼓坊主」は、日本一の巨樹「大楠」のそびえる蒲生の地に、ふるさと興しの気概をもって結成した。

「自由な発想」「手づくりの活動」「積極的な交流」 を基本姿勢に、郷土に生きる喜び・自然への感謝・若者の士気を鼓舞する想いをこめて、また、言葉を超えた和太鼓の響きを、古いものとして保存するだけではなく、国内外の様々な文化に触れながら、日本の伝統打楽器「太鼓」の魅力を継承・発展させる活動に取り組んでいる。


蒲生郷「太鼓坊主」の歩み
(「太鼓坊主」10年の軌跡)


1979(昭和54)年

1981(昭和56)年

1982(昭和57)年

1985(昭和60)年

1986(昭和61)年

1987(昭和62)年

南方圏交流センターの日韓コグマ(いもを意味する韓国語)交流で漢陽大学校生の張承勲さんが蒲生町に滞在。和太鼓に興味を持ち、共演の話がまとまる。(「コグマロード計画」と名付ける。)

張承熱さんは韓国太鼓チャンゴの演奏者。「ソウルで共演してみたい」の声が太鼓坊主を動かした。

日韓のコグマ交流とは、韓国中央大学校等で日本語・日本文学を学ぶ学生達とホームステイを通じての交流。

1988(昭和63)年

1989(平成元)年

(蒲生町)

1990(平成2)年

3月 ニュージーランド行きの資金確保のため、太鼓坊主と農業自営者(太鼓坊主とー緒に農業研修に行く人たち)がトウモロコシを栽培する。

1991(平成3)年

1992(平成4)年

1993(平成5)年

1994(平成6)年

1995(平成7)年

1996(平成8)年

1997(平成9)年

1998(平成10)年


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